コミュニケーション
プロスポーツの現場に長く関わり、多くのケガを診断し治療してきました。選手がケガを克服して、再びピッチへ戻り活躍する姿をたくさんみてきた一方で、メディカルスタッフとしてスポーツ選手のケガを予防することの難しさを痛感しています。
選手にケガが生じると、治療やリハビリ、その後の復帰プログラムに長い時間を費やさなければなりません。ケガによっては数ヵ月以上の離脱期間を要することもあるため、プロスポーツ選手のケガは、選手自身だけでなく、クラブにとっても大きな経済的損失をもたらします。ヨーロッパチャンピオンズリーグでは、クラブの選手1 人が1 ヵ月間のケガを負った場合、 約7000万円の損失が生じると試算されています1)。このため2000年頃よりケガに対する様々な疫学調査や、ケガ予防のためのトレーニングが開発、検証され約20年かけてヨーロッパ各国のケガの発生率が減少するようになりました2)。主力選手がケガなくシーズンをプレーし続けることができれば、 結果としてチームの勝率はあがリ、よい成績を残せることができるはずですから、 言い換えれば、ケガを予防することはクラブに利益をもたらすということになります。海外ではシーズン中のケガの発生が少ないチームほど、年間の成績が良かったという報告もあり3)、ケガの予防はシーズンを戦う上で非常に大きなキーファクターとなリます。これはプロスポーツだけでなく、アマチュアや学生クラブにも当てはまることです。
サッカー先進国のヨーロッパにおいて、強豪クラブを支えるチームドクターに対して「チーム内で選手のケガを予防するうえで最も重要な因子はなにか?」という質問をしたところ、多くのドクターが、選手への運動負荷、スタッフ間のコミュニケーション、監督の指導スタイル、選手の幸福感の4つであると回答しています4)。トレーニングの量が多くなると、選手の身体にかかる負荷は大きくなるため、ケガが発生する危険性は高まります。しかし、ケガを予防したいがためにトレーニング負荷を落とせばケガは発生しにくくなりますが、運動量が減るので必然的に選手の競技能力は落ち、高強度な運動負荷には耐えられない状況に陥ってしまいます。すると急激な運動負荷や公式戦などでケガが生じるリスクが高まり、よい成績も得られなくなります。プロスポーツにおける目的は勝利すること。選手のケガを予防し、個々のパフォーマンスを上げ、チームの戦力を高めていくためにはトレーニングによる運動負荷は必須ですから、メディカルスタッフは選手のコンディションや疲労度などをこまめに収集し、監督をはじめとしたコーチングスタッフとその情報を共有し合うことで、最適な運動負荷でのトレーニングメニューを組むことが可能となリます。最近では携帯アプリでその日の自己疲労感を数値化したり、GPSを用いてトレーニング中の走行距離や瞬発的動作を数値化して、客観的に評価することで選手の運動負荷をコントロールすることが試みられています5)。
ケガの予防はメディカルスタッフだけではなく、選手を支える全てのスタッフと共に、クラブ全体で考えていくことで、よリ大きな効果が得られるはずです。ただし、監督の指導方針やトレーニングの内容は、クラブの活動すべてにおいて最優先されなければなりません。プロスポーツ現場の全ての責任を負うのは監督です。メディカルスタッフは監督、コーチが作るトレーニングを常にリスペクトして、その内容を十分理解し、その上でケガをどう予防していくかを考え、アドバイスすることが大切です。ケガを予防して、クラブの成績も向上させる。そのためにはスタッフ間のコミュニケーションは非常に重要なのです。
1)Why is UEF A carrying out injury studies? D’Hooghe M. Br J Sports Med. 2016 Jun;50(12):707.
2)Injury rates decreased in men’s professional football: an 18-year prospective cohort study of almost 12 000 injuries sustained during 1.8 million hours of play. Ekstrand J, Spreco A, Bengtsson H, Bahr R.Br J Sports Med. 2021 Oct;55(19):l084-109l.
3)Low injury rate strongly correlates with team success in Qatari professional football.Eirale C, Toi JL, Farooq A, Smiley F, Chalabi H. Br J Sports Med. 2013 Aug;47(12):807-8.
4)Preventing injuries in professional football: thinking bigger and working together. Ekstrand J.Br J Sports Med. 2016 Jun;50(12):7()9.10.
5)Player Tracking Technology and Data for Injury Prevention in the National Football League.Ghasem W, Valenzuela J, Saxon LA.Curr Sports Med Rep. 2021 Sep 1;20(9):436-439.
▶︎ こちらの記事は長野県のスポーツを応援するWEBマガジンSPOCOLOR(スポカラ)にて連載しているコラムを掲載しております。